大阪ハーモニーブラス(OHB)は、日豪交流年(日豪友好協力基本条約締結30周年)にあたる今年2006年4月に、2度目のオーストラリア・ツアー(4/13〜4/17)を行いました。実は、当初オーストラリアに行く予定はなく、元々2004年の春に2005年のニュージーランド選手権に参加するべく、計画を立てていました。ニュージーランドはホストのバンド連盟が2005年に創立125周年に迎えるということで、記念大会と位置づけられ、世界各国からの参加を募っており、OHBもそれに参加する予定でした。しかし残念ながら、コンテストのスケジュール変更とアクセスの難しさからエントリーを断念することになりました。その断念直後に、サウス・ブリスベン・フェデラル・バンドの団長を務めるロビン・チャップマン氏から、2006年にブリスベンで開催される豪州選手権の情報がもたらされました。氏は、年に数回来日して九州の大学で教鞭をとっており、2004年の秋に来阪していた氏と情報交換をした後、ブリスベン市長からの招待状が届き、本格的に今回の豪州プロジェクトが動き出すこととなりました。

今回は、経費削減のため、ツアーのオーガナイズを全て自前で行うことにしたのですが、原油高など予想外の事象も発生し、難しい作業になりました。まず、前年の9月に全てのセクションの課題曲が、主催者側から発表されました。今回のAグレードの課題曲は、フィリップ・スパークの難曲「エニグマ変奏曲(Variation on an Enigma)」。発表になった時は、正直エントリーをやめようかと思ったのですが、とりあえず、すぐ譜面を発注して取り寄せることに。後は、12月までにエントリーの申請書を送付し、参加料を振込み、その他の演奏曲を決定します。今回OHBが選択したのは、自由曲にフィリップ・ウィルビーの「パガニーニ・ヴァリエーションズ」、賛美歌にウィルフレッド・ヒートンの「勲なき我を」、ステージ・マーチにトーマス・パウェルの「コンテスター」、パレード・マーチにケネス・オルフォードの「ボギー大佐」の4曲でした。パレードについては、前回まったく状況がわからずに参加し、残念な結果になったので、当初エントリーしないことも検討したのですが、主催者に問い合わせると、Aグレードのバンドはエントリー必須ということでした。よって今回は、パレードのリハーサルも行い(メンバーの半数以上はマーチング未経験者)、ドラム・メジャーもチャップマン氏からの提案で、チャップマン氏の友人で、オーストラリアでトップクラスのドラム・メジャー(DM)とされる、ジェフ・フライ氏にお願いすることになりました。

2月中にこれらの曲のスコアをコピーして、主催者側に送付します。これは審査員用のもので、コンテスト終了後に返却されます。当初、審査員はブラック・ダイク・バンドの音楽監督、ニコラス・チャイルズ氏が予定されていたのですが、健康上の理由で氏が辞退、変わりに元グライムソープ・コリアリー・バンドの指揮者で、現在フォーデンズ・リチャードソン・バンドの指揮者を務めるギャリー・カット氏になりました。ちなみによく言われることですが、これらのスコアや打楽器、ダブるパート以外、コピーは認められていません。このジャンルの譜面はかなり割安で入手できていたのですが、最近の譜面は、コピー対策として中途半端な大きさで印刷されたり、単価も徐々に高くなっています。例えば、スパークの「オリエント急行」楽譜一式が18ポンド(約3600円)で手に入ることを考えれば、良心的な価格設定以前に、いかに健全な市場であったか想像するのは難しくないと思います。

また今回は、コンテスト翌日の日曜日に開催されるガラコンサートにも出演が決まり、ガラコンサートのプロデューサー、パム・シュライヴァーさんと音楽監督の岡本篤彦氏の3人で協議してプログラムを決めていきました。シュライヴァーさんの意向で、エンターテイメント系のプログラムとなり、当日の客演奏者で打楽器奏者のシモーネ・レベッロさん(バック・ビートという自身のグループを率いて大阪室内楽コンクールで優勝、来日公演で見せた斬新なステージをご記憶の方もいらっしゃるでしょう)との共演も決まりました。

2月にコンテストとガラコンサートの演奏曲目でプログラミングされたコンサートに臨み、3月中にバンド・メンバー全員のサイン・シートを送付します。これは、当日ステージに向かう前に同じサインをして、替え玉プレーヤーを防ぐ意味があります。また人数制限は28人以内の金管楽器奏者、そして打楽器奏者とされており、標準ブラス・バンド編成に比べると金管楽器については若干余裕があります。また、急な病気等で出場できないメンバーのために、許可演奏者(Permit Player)という制度があり、事前に登録することができるようです。こうして準備を一通り終え、いよいよ出発となります。

4月13日の夜に、JL777便で関西空港を後にし、一路ブリスベンを目指します。約9時間のフライトですが、時差が1時間しかないので、ヨーロッパなどに比べると少し楽です。14日の朝、空港に到着すると、チャップマン氏や先発隊に迎えられホテルに直行します。今回のホテルは、ヒルトン・ブリスベン(!)。ホテルの予約を入れるのが遅れたのと、コンテストと世界豆会議というイベントが重なり、ミドル・クラスまでのホテルは既に一杯だったため、ヒルトンとなりましたが、結果的には会場から近かったので便利でした。ホテルの宴会場で軽くリハーサルを行った後、会場入りします。会場はシティホールといって、ブリスベン市のシンボルにもなっている大きな時計台のついたホールです。

初日のAグレードは、12時半から演奏が開始されており、OHBは17バンド中9番目の出演で、課題曲の「エニグマ」と賛美歌を演奏。エニグマは、各セクションに難所が待ち受け、体力的にもタフさが要求される曲です。ベースについては4人ともミュートを使用するのですが、素早いミュートの着脱を要求されました。日本人は外国人に比べて体が小さいので、楽器を構えたままでのミュートの着脱が難しいのですが、今回使用したオーストリアのシュリプフィンガーさん作成のストレート・ミュートはユーザーの立場を考えた設計で、構えたまま楽にはずすことができました(JTCの香川さん、ありがとうございました)。

「エニグマ」というタイトルは、エルガーから主題を借りているのと、曲中に別のバンド曲が隠されているというダブル・ミーニングになっているのですが、後日スパーク氏に、直接この件を聞いてみると、ヒートンの「コンテスト・ミュージック」が隠されているとのお答えでした。探してみるとそっくりなところがたくさんありました。

初日の演奏が終わると、近くの公園に移動して、パレード・マーチの練習に入ります。フライ氏の指示は、当たり前ですが全て英語で(事前にコマンドの一覧は戴いて練習はしましたが)、国内での練習と若干違う部分もあったので、全体的なリハーサルを行いました。周囲もだいぶ暗くなってきたころにリハーサルも終了、一旦ホテルに帰ります。初日はそのまま休んだり、残りのバンドの演奏を聴くなどしてそれぞれ過ごしました。食事については、ブリスベンは大きな町ですので、食べるところはたくさんあるのですが、復活祭期間中(豪州選手権は毎年この期間に行われる)ということもあり、外食は総じて割高です。中華は復活祭とは関係ないので、約500円でお皿に盛り放題、というのもありましたが、それ以外は1食1500円ほどかかります。

翌日15日はシティホール前の通りが、警察車両で通行止めとされ、8時からパレード・コンテストが行われました。全部で39バンドがエントリーし、各グレードでまとまって行進をします(OHBはAグレードのトップで行進)。フライ氏は今回の選手権の実行委員会委員長で、なおかつパレードでは審査員も務めるという状況でDMを引き受けていただきました。本当に良いのかな、と思ってもいたのですが、パレード・コンテストの目的は、マーチングの普及という意味合いもあるのであまり厳しくはないようです。

パレード終了後は、夕方のリハーサルまで時間があるので、自由時間となります。筆者はトレード・スタンド(期間中、CDや楽譜、楽器を販売している)で様々なブース見て回りました。英国や豪州でも、ブラス・バンドのCDや譜面は、一般のお店ではほとんど扱っておらず、ネットショッピングやこうしたイベントに出るブースで買うことになります。

楽譜やCDは日本にいてもほとんど同じものが、インターネット等を利用して購入できます。と言いつつも、ソロの譜面や、オーストラリアやニュージーランドのバンドの自主制作盤は中々買う機会がないので購入。特に目を引いたのが、ソフトケース。様々な種類がありますし、ユーフォニアムのケースが1万円ほどで売られています。テューバに関して言えば、アップライト仕様のE♭管が、ミラフォンとクルトワから、更にB♭管ではB&Sがアップライトのコンペ仕様と思しきものが展示されており、国内ではまだ見たことがないのですが、こういった市場をターゲットにした機種を、各メーカが開発しているのに驚きました。その後は、Bグレードの自由曲を鑑賞。ゴフィンの「ラプソディ・イン・ブラス」やハウェルズの「パジェントリー」といったオリジナル・クラシックスから、グレイアムの「エッセンス・オブ・タイム」、スパークの「祝典のための音楽」などのコンテンポラリーまで様々な曲がチョイスされていました。

Aグレードの自由曲は14時半から演奏が開始され、主なバンドの自由曲は、前年度の覇者、ブリスベン・エクセルシオール(ハワード・テイラー指揮)が、スパークの「天体の音楽」、以前日本にも来日したことがある、キュー・バンド(マーク・フォード指揮)がデメイの初のブラス・バンド作品で、チャイコフスキーがバリ島に休暇にいったような雰囲気を持った「エクストリーム・メイク・オーヴァー」、ニュージーランドのチャンピオン、デールウール(ナイジェル・ウィークス指揮)はブージェワーの難曲、「コンチェルト・グロッソ」といった具合でした。後は、スパークの「タリス・ヴァリエーションズ」が3バンド、ウィルビーの「パガニーニ・ヴァリエーションズ」が4バンド重なっていたのが印象的でした。

OHBの自由曲とステージ・マーチは13番目の出演で、8時半ごろの出演予定でしたが時間が押して9時ごろの演奏になったかと思います。したがって審査発表も11時半近くになるという、日本ではちょっと考えられない時間になりました(その審査発表もなかなか始まらず、待ちくたびれた聴衆から、ウェーブが起きた、なんてこともありました)。結果はブリスベン・エクセルシオールが優勝し、前評判の高かったデールウールは3位に終わりました。OHBは、課題曲が6位、自由曲が11位、賛美歌が10位、ステージ・マーチは12位の総合12位(17バンド中)で、非常に厳しい結果となりました。パレードは16位で、前回の最下位から脱出ができました。

翌日はガラコンサートのリハーサルが、お昼からなので午前は自由時間となりました。筆者はホテル近くのマングローブ林を散歩しましたが、気候的には亜熱帯にあたるため、9時ごろは既に暑く、植物園の植物や鳥も南国系なのが印象的でした。

ガラコンサートは、昨日までと雰囲気がガラッと変わったシティホールで行われました。出演者の国の国旗が、中央に吊るされた華やいだ雰囲気で、開演前のロビーでは、フルート四重奏でモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲が奏でられるなど、ムードを盛り上げてくれます。コンサートはニュージーランドのデールウール・オークランド・ブラス、OHBそしてチャンピオンのブリスベン・エクセルシオールの3バンドのステージを中心に構成され、レベッロさんがそれぞれのバンドと共演するというスタイルがとられました。

コンサートは冒頭、ナイジェル・ウィークス指揮、3バンド合同で、オーストラリア国家を演奏、トップバッターのデールウールは、そのままステージに残ります。彼らは、オーソドックスなプログラミングで、グレイアムの「ゲール・フォース」やダンカン編曲の「ハリー・ポッター・セレクション」、ヴァーグナーの「エルザの大聖堂への行列」などを演奏していました。

休憩の後がOHBの演奏で、まずデビュー以来、シグネイチャー・チューンとして使わせてもらっているリチャーズの「ハーモニー・イン・ブラス」と岡野貞一の「ふるさと」を披露。続いてレベッロさんとの共演で、「ホラ・スタッカート」とバッハの「バディネリ」のジャズ・ヴァージョンを演奏。この2曲は、1ヶ月前に譜面が送られてきて当初の予定と曲目が変更になるなど、不安な部分が正直一杯あったのですが、リハーサル、本番と彼女の演奏に引っ張られ、その牽引力に関心しきり。モデルもこなす才女で、人間的にもフレンドリーで良い方でした。

ソロの後、「上を向いて歩こう」を歌入りで演奏、以外にも今回この曲の評判が良かったようで、現地から後で譜面の問い合わせもあったようです。この曲はミュージック・エイト社の金管バンド譜面で、所謂ブリティッシュ・スタイルの編成とは異なるのですが、そういった譜面のことは聴衆にとってはあまり関係のないことかもしれません。年配のお客様が多かったのも印象的でした。次は故兼田敏氏の「マーチ!マーチ!」を演奏。日本人の手によるオリジナル・ピースを、と思い選曲しましたが、今回難易度的には一番難しい曲となりました。こちらはブリティッシュ・スタイルの編成で書かれ、ウィンド版とブラス版が同時に出版されるという、17年前にしては非常に画期的で、かつ良質な作品でした。最後はオーストラリアの第2の国家とも言われる「ワルツィング・マチルダ」を演奏して、今回のツアーの演奏を終えました。

その後、ニューヨークのトロンボーン奏者、ビル・ブロートンの指揮、ブリスベン音楽院のトロンボーン・アンサンブルによる、「オーストラリア・メドレー」が演奏されている間に、エクセルシオールが入場してきます。2連覇をしたエクセルシオールは、プリンシパルに元YBSバンドのリピアノ、2ndユーフォニアム(!)にニュージーランドの名奏者、リキ・マクドネルを擁しており、今オーストラリアで一番実力のあるバンドでしょう。彼らはグレイの「スティングレイ」や、レベッロさんとの共演でリチャーズの「ジンバ・ザンバ」、ダンサーと共演した「ウェスト・サイド物語」などを演奏。アンコールではレベッロさんが再登場し、「ヘルター・スケルター」で、自身の限界に挑戦するかのような、スリリングなドライヴを披露して幕を閉じました。彼女については、技巧だけでなく、無伴奏で演奏したグレニーの「小さな祈り」で見せた、集中力と表情の豊かさが、全プログラム中の白眉だったことも付け加えておきます。

OHBのステージは概ね好評だったようで、メンバーの中には終演後、握手攻めにあった者もいたようです。ホテルに戻ると、1つの部屋に集まって、ツアーの打ち上げをしましたが、翌朝早い出発(5時には荷物をドアの前に置いておく)でしたので、早々に切り上げあまり余韻に浸ることなく、空港に向かいました。帰りはシドニー経由でのフライトで、幸い全メンバーが無事に帰国することができました。

今回のツアーでは、肝心のコンテストで非常に厳しい結果が出たのですが、まだまだやることがたくさんあると宿題をもらったようなものですし、ガラコンサートでは貴重な経験を積むことができました。OHBもツアーを通して成長することができたと思います。 最後になりましたが、今回のツアーにあたってたくさんの方にお世話になりました。物心問わずサポートいただいた方、また都合で今回ツアーに参加できなかったメンバー、ツアーをコーディネイトいただいた阪上 由紀さん、ロビン・チャップマン氏、ジェフ・フライ氏、コンテスト・アドミニストレイターのヘレン・ホイさん、ガラ・コンサート・プロデューサーのパム・シュライヴァーさん他、今回のツアーに関わった全ての方にお礼申し上げます。

(木原 亮太/Ryota Kihara Special Thanks to Mr.Robin Chapman, Mr.Geoffrey Fry, Ms.Helen Hoy, Ms.Pam Schryver, Queensland Band Association inc., Ms.Yuki Sakaue and all supporters.)

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